一般的に修習生は、民事裁判修習でいやというほど、弁護士の悪口を聞かされることになる。
たとえば、和解案を一方が拒否した場合に、依頼者を説得すればいいのに、とか、あの先生はフットワークが悪い、とか今思えば、かなり的外れな弁護士の悪口を聞かされることになる。
私が、修習時代に接した裁判官、実務に出てから交流のある裁判官の多くが、明らかに一般的に弁護士より裁判官の方が優秀である、という意識を持っていた。そして、過去の私がそうであったように、修習生や新人弁護士は、修習時代に裁判官の影響を受けて一般的に裁判官の方が弁護士よりも優秀と考えがちである。
しかし、私は、一般的に裁判官が弁護士よりも優秀であるという、裁判官のエリート意識を裏付ける根拠を目にしたことはない。事案の理解の精度、尋問の巧拙、記録の読み込みの深さ、いずれを取っても、自らのエリート意識を証明するに足りる仕事ぶりを、裁判官から見せてもらったことはない。
そして、私は、一般的に裁判官の方が弁護士より優秀である、という根拠のない命題が、一定程度、法曹界において支持を受けている現在の状況は、好ましくないと考える。特に、新人弁護士や修習生が、裁判所によって、裁判官よりも弁護士の方が優秀であると、ある意味洗脳されている状況は、非常に好ましくない。
たとえば、裁判官によってまずい訴訟指揮がなされた場合(実務上、頻繁にお目にかかるのだが)、当該事案における代理人が、裁判官の方が自分よりも優秀だなどと思っていては、まずい訴訟指揮に対して抗議できない。
また、裁判官も、国家権力の担い手であり、その他の権力者と同様に、権力を濫用する恐れを有している。そして、裁判官が、担当する事件において権力を濫用した際、これを阻止できる第一の存在は、当該事件を担当する弁護士である。当該事件を担当する弁護士が、裁判官が弁護士よりも優秀だなどと思っていては、裁判官による権力の濫用を阻止できない。
そして、弁護士の業務の本質のひとつは、いかに裁判官をコントロールするか、という点にある。記録を読まない、難しい法律問題の判断を避ける、込み入った事案は、半年経っても事案が頭に入らない、自分が楽をするために強引に和解をさせようとする、しかし、自分は優秀であると考えている、そういった裁判官を、依頼者の利益になるようにコントロールすることこそ、弁護士の仕事の本質である。優秀な弁護士であればあるほど、明確に裁判官は、コントロールするものである、という意識を持っている。裁判所及び裁判官をコントロールできる弁護士こそ、優秀な弁護士であり、そういった弁護活動こそ、よい弁護である。
したがって、一般的に裁判官の方が弁護士よりも優秀である、などと考えていては、絶対によい弁護活動はできない。 よい弁護をするには、絶対に、一般的に弁護士の方が、裁判官よりも優秀である、と考えていなければならない。
そして、裁判官の方が弁護士よりも優秀という根拠のない命題が一定程度支持を受けている現状は、よい弁護活動をやりづらくするという点において、非常に有害であるように思う。
たとえば、和解案を一方が拒否した場合に、依頼者を説得すればいいのに、とか、あの先生はフットワークが悪い、とか今思えば、かなり的外れな弁護士の悪口を聞かされることになる。
私が、修習時代に接した裁判官、実務に出てから交流のある裁判官の多くが、明らかに一般的に弁護士より裁判官の方が優秀である、という意識を持っていた。そして、過去の私がそうであったように、修習生や新人弁護士は、修習時代に裁判官の影響を受けて一般的に裁判官の方が弁護士よりも優秀と考えがちである。
しかし、私は、一般的に裁判官が弁護士よりも優秀であるという、裁判官のエリート意識を裏付ける根拠を目にしたことはない。事案の理解の精度、尋問の巧拙、記録の読み込みの深さ、いずれを取っても、自らのエリート意識を証明するに足りる仕事ぶりを、裁判官から見せてもらったことはない。
そして、私は、一般的に裁判官の方が弁護士より優秀である、という根拠のない命題が、一定程度、法曹界において支持を受けている現在の状況は、好ましくないと考える。特に、新人弁護士や修習生が、裁判所によって、裁判官よりも弁護士の方が優秀であると、ある意味洗脳されている状況は、非常に好ましくない。
たとえば、裁判官によってまずい訴訟指揮がなされた場合(実務上、頻繁にお目にかかるのだが)、当該事案における代理人が、裁判官の方が自分よりも優秀だなどと思っていては、まずい訴訟指揮に対して抗議できない。
また、裁判官も、国家権力の担い手であり、その他の権力者と同様に、権力を濫用する恐れを有している。そして、裁判官が、担当する事件において権力を濫用した際、これを阻止できる第一の存在は、当該事件を担当する弁護士である。当該事件を担当する弁護士が、裁判官が弁護士よりも優秀だなどと思っていては、裁判官による権力の濫用を阻止できない。
そして、弁護士の業務の本質のひとつは、いかに裁判官をコントロールするか、という点にある。記録を読まない、難しい法律問題の判断を避ける、込み入った事案は、半年経っても事案が頭に入らない、自分が楽をするために強引に和解をさせようとする、しかし、自分は優秀であると考えている、そういった裁判官を、依頼者の利益になるようにコントロールすることこそ、弁護士の仕事の本質である。優秀な弁護士であればあるほど、明確に裁判官は、コントロールするものである、という意識を持っている。裁判所及び裁判官をコントロールできる弁護士こそ、優秀な弁護士であり、そういった弁護活動こそ、よい弁護である。
したがって、一般的に裁判官の方が弁護士よりも優秀である、などと考えていては、絶対によい弁護活動はできない。 よい弁護をするには、絶対に、一般的に弁護士の方が、裁判官よりも優秀である、と考えていなければならない。
そして、裁判官の方が弁護士よりも優秀という根拠のない命題が一定程度支持を受けている現状は、よい弁護活動をやりづらくするという点において、非常に有害であるように思う。
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