私は、京都出身である。現在はどうか分からないが、私が子供の頃の京都は、共産党の力が非常に強かったので、小学校・中学校においては、かなり左寄りの教育が行われていた。
よって、テストの点数を競うことが悪いという風潮は強かった。
私は、中学校から進学塾に通い、勉強が大事という塾の価値観になじんでいたため、勉強で競争すること=悪という、公立中学校の価値観には反発を覚えた。
また、私の通っていた中学校は、進学校に行くのは、年数人で、後は皆公立高校に行く学校であったので、私のように、進学塾に通う人間は、目だった。私は、よく先生から嫌味を言われた。面と向かって、勉強できても意味ないわ、などという趣旨の暴言を言われたこともある。
このような、公立中学校の雰囲気に反発を覚えていたこともあってか、私は、20歳くらいまでは、右よりの思想を持っていた。
さて、現在、日本全体が 右傾化しているといわれる(実際そうなのかはわからない。)。仮に、日本全体が右傾化しているということが事実であるとすれば、私は、左翼といわれる人達に、その一因があるような気がしてならない。
戦後、一定時期までの日本の教育・マスコミには、左よりの人が余りに多く、過度に左寄りの考えを押し付けようとした。特に、教師など、教育界の人々は、左よりの考えを、生徒に教え込もうとしすぎた。それが理由で、過去の私のように反発する人が増え、右よりの思想を持つ人が増えた、という側面があると思われる。
また、戦後日本の左翼といわれる人達の行動に、人々から反発を受けるような振る舞いが多々あった面も否定できない。
伊集院静の岬へ、という小説に、主人公が大学の左翼系のサークルに出席する場面がある。当時、北朝鮮への帰還事業が盛んであり、主人公が出席したサークルでは、北朝鮮は夢の国であると、皆が賛美していた。主人公は、この中で北朝鮮に行った奴はいるのか、なんで北朝鮮に行ったこともないのに、そのような無責任なことが言えるのか、などと反発する。
戦後左翼系の知識人は、この小説に出てくる大学生達のように、なんら根拠もなく、北朝鮮は夢の国と賛美していた。左翼系の知識人の北朝鮮賛美に対し、胡散臭さを感じ、反発を覚えた人も多かったと思う。その後、北朝鮮の実態が明らかになるにつれて、北朝鮮を賛美していた人の責任が問われ、左翼の権威が失墜する。
また、大学には、過去学生運動をやっていたマルクス主義者の教授で、ろくに論文も書かず、まともな授業もしないという人がいたが、組合活動ばかりやっていて、ろくに仕事をしない、という人が実在したことは確かであり、そのような人の存在が、左翼=悪というイメージを助長したこともまた事実である。
私が、大学生のころには、すでに左翼=ダサくて胡散臭い=悪、というイメージが一般的なものになっていた。派遣法の改正等の小泉改革は、そのような左翼=悪というイメージを利用して、行われた一面がある。つまり、派遣法の改正等に反対する人を、左翼=悪だとレッテル張りをして、反対言論を封じ込めることで、小泉改革が成し遂げられた側面がある。極論すれば、現在、非正規雇用の人たちの苦しい状況は、左よりの人たちの責任であるともいいうるのである。
ピケティの21世紀の資本には、わざわざ、私はマルクス主義とは無縁だ、との断りがあるが、そのような断りを入れなければならないほど、左翼のイメージは悪いのである。私は、日本の戦後左翼といわれる人の責任は、重いように思う。
よって、テストの点数を競うことが悪いという風潮は強かった。
私は、中学校から進学塾に通い、勉強が大事という塾の価値観になじんでいたため、勉強で競争すること=悪という、公立中学校の価値観には反発を覚えた。
また、私の通っていた中学校は、進学校に行くのは、年数人で、後は皆公立高校に行く学校であったので、私のように、進学塾に通う人間は、目だった。私は、よく先生から嫌味を言われた。面と向かって、勉強できても意味ないわ、などという趣旨の暴言を言われたこともある。
このような、公立中学校の雰囲気に反発を覚えていたこともあってか、私は、20歳くらいまでは、右よりの思想を持っていた。
さて、現在、日本全体が 右傾化しているといわれる(実際そうなのかはわからない。)。仮に、日本全体が右傾化しているということが事実であるとすれば、私は、左翼といわれる人達に、その一因があるような気がしてならない。
戦後、一定時期までの日本の教育・マスコミには、左よりの人が余りに多く、過度に左寄りの考えを押し付けようとした。特に、教師など、教育界の人々は、左よりの考えを、生徒に教え込もうとしすぎた。それが理由で、過去の私のように反発する人が増え、右よりの思想を持つ人が増えた、という側面があると思われる。
また、戦後日本の左翼といわれる人達の行動に、人々から反発を受けるような振る舞いが多々あった面も否定できない。
伊集院静の岬へ、という小説に、主人公が大学の左翼系のサークルに出席する場面がある。当時、北朝鮮への帰還事業が盛んであり、主人公が出席したサークルでは、北朝鮮は夢の国であると、皆が賛美していた。主人公は、この中で北朝鮮に行った奴はいるのか、なんで北朝鮮に行ったこともないのに、そのような無責任なことが言えるのか、などと反発する。
戦後左翼系の知識人は、この小説に出てくる大学生達のように、なんら根拠もなく、北朝鮮は夢の国と賛美していた。左翼系の知識人の北朝鮮賛美に対し、胡散臭さを感じ、反発を覚えた人も多かったと思う。その後、北朝鮮の実態が明らかになるにつれて、北朝鮮を賛美していた人の責任が問われ、左翼の権威が失墜する。
また、大学には、過去学生運動をやっていたマルクス主義者の教授で、ろくに論文も書かず、まともな授業もしないという人がいたが、組合活動ばかりやっていて、ろくに仕事をしない、という人が実在したことは確かであり、そのような人の存在が、左翼=悪というイメージを助長したこともまた事実である。
私が、大学生のころには、すでに左翼=ダサくて胡散臭い=悪、というイメージが一般的なものになっていた。派遣法の改正等の小泉改革は、そのような左翼=悪というイメージを利用して、行われた一面がある。つまり、派遣法の改正等に反対する人を、左翼=悪だとレッテル張りをして、反対言論を封じ込めることで、小泉改革が成し遂げられた側面がある。極論すれば、現在、非正規雇用の人たちの苦しい状況は、左よりの人たちの責任であるともいいうるのである。
ピケティの21世紀の資本には、わざわざ、私はマルクス主義とは無縁だ、との断りがあるが、そのような断りを入れなければならないほど、左翼のイメージは悪いのである。私は、日本の戦後左翼といわれる人の責任は、重いように思う。
コメント