大学生1年生の時、日本語テクスト分析という授業を受講した。教官は、文学界で一定の地位のある評論家の人で、主に和辻哲郎や、村上春樹らの小説に関する批評を、講義していくというものであった。授業の一コマで、教官が大正時代の青年の精神構造と、村上春樹の小説に出てくる現代(2000年当初)の青年の精神構造がそっくりという発言をしていた。また、教官は、歴史は60年で繰り返すと言われているとも発言していた。
 大正時代の青年の精神構造と村上春樹の小説に出てくる青年の精神構造がそっくりという話は、大まかに次のようなものであったように思う。すなわち、村上春樹の小説は、本当に描きたいものの周辺の事象については描写するものの、本当に描きたいものそのものについては、何ら描写しない。たとえば、ノルウェイの森における直子は、重大な病気にかかる。直子の病気は、物語の中で非常に重要な要素である。しかし、最後まで、病気の名前は、明らかにされない(おそらくは、直子は、統合失調症という設定のように思われる。)。同様の傾向は、和辻哲郎の著作にも見られる。
 私は、そのような教官の話に興味を持ち、調べてみたところ、1920年代と2000年代が類似しているという指摘は、アカデミックな分野では、比較的多くされているということを知った。
 私が、その講義を受けた時から10年近い時間が流れた。私は、直観的に、現在は、1930年代と類似していると感じている。宮崎駿が、風たちぬで、1930年代を扱ったことは偶然ではないように思える。
 私は、現在弁護士であるので、どうしても、弁護士がどうなっていくのか、ということに関心を持たざるを得ない。すでに広く知られた事実であるが、1930年代の弁護士は、増員により、経済的な苦境に立たされていた。弁護士の破産が相次いだ。憲兵が紛争を解決し、弁護士は引っ込んでいろなどと言われることもあったようである。
 仮に、1930年代と同様の状況に弁護士が立たされる(すでに立っているのかもしれないが)のであれば、戦前と同じく、弁護士は、少なくとも戦争(ひいては、それに同等するような、歴史的ターニングポイント)が終了までの間は、経済的にも社会的にも苦境に立たされるのかもしれない。
 一方、1930年代に軍部が台頭した背景に、1920年代における軍部に対する冷遇が指摘されている。つまり、軍縮の時代であった1920年代、軍隊の地位が軽く見られた反動で、1930年代に軍人が暴走したという指摘である。仮に、1930年代の軍部と1920年代の弁護士を置き換えるとすれば、司法ファッショというような司法の暴走という事態が起こる、ということも考えられる(実現の可能性は低く、私自身、具体的にどのようなものか不明であるが)。
 いずれにせよ、私を含め、現在の若い世代は、あまり、いい時代に生まれていないような気がする。