1  私は、過去、塾の個別指導の講師をしていた。個別指導のターゲットの顧客は、学校で落ちこぼれた子供たちであった。そして、個別指導の講師には、勉強をうまく教えることではなく、子供たちを楽しませることの方が求められた。個別指導の講師の仕事は、子供に対するキャバクラという側面があった。
2   一方で、進学塾のメインターゲットは、勉強のできる子供である。よって、進学塾の講師にも、やはり、相応の勉強の教え方のうまさが求められることになる(余談だが、話しながら、目の動きや、拳作挙動などによって、相手の心うちを読む必要があるという点では、法律相談の感覚と、個別指導の感覚は非常に似たものがあると感じている。)。ただし、やはり人相手の仕事なので、人柄も重要となってくる。
3  私は、個別指導の仕事があまり好きになれなかった。特にいやであったのが、勉強をうまく教えることが、個別指導の仕事においては求められなかった、という点であった。本来、個別指導塾の講師の役割は、成績を上げることにあるはずだが、本音の部分では、子供たちの成績を上げることは、求められていなかった。
4 つまり、個別指導塾に来る子供たちは、勉強に対して、やる気のない子供たちばかりである。明らか
にその子のためを思えば、少しは厳しく指導し、勉強させた方がよいのだが、厳しく指導すれば、子供に嫌われ、その子は塾に来なくなる。そして、塾の売り上げも落ちる。個別指導塾の社員も、当たり前であるが、売り上げとクレームが来ないことが何より大事であるので、講師に子供に嫌われるようなことはしてほしくない。個別指導塾の社員も、子供たちを楽しませればよい、という方針であった。
5  つまり、私が講師をしていた個別指導塾においては、子供の成績をアップするという、塾講師の本来の仕事であるはずの仕事をすることは求められていなかった。子供たちを楽しませること、というどちらかといえば、サービス業として、本質的ではなく、周辺的な仕事をすることが求められていた。もっといえば、塾講師の仕事には、子供たちの成績をアップするという、本質的な意味での結果は求められていなかった。そして、本質的な意味での結果と、塾の売上が、相反する関係にあった。
6   私は、結構な期間、個別指導の講師を務めるのであるが、その間、子供の御機嫌伺いに終始する日々であった。こんなことでいいのかな、という疑問を持ちつつ、私は仕事をしていた。
7   私が個別指導において感じた疑問には、サービス業一般に通じる問題があるように思う。以下、詳論する。
(1)サービス業には、本質的な部分と周辺的な部分がある。本質的な部分とは、個別指導塾であれば、子供の成績を上げることであり、弁護士の仕事で言えば、争いあるものの、事件につき、顧客に有利な結果をもたらす形で解決することである。
(2)一方で、サービス業の周辺的な部分とは、個別指導塾で言えば、子供たちを楽しませることであり、弁護士の仕事で言えば、クライアントが事務所に来れば、「いらっしゃいませ」と事務局総出で出迎えるといった、水商売的な部分の仕事である。すなわち、サービス業の周辺的な部分とは、顧客をいい気分にさせるために行われる部分である。
(3)そして、物を提供するのではないため、サービス業の本質的な部分の質は、顧客からはわかりづらい。厳密に言えば、分かる人には分かるのであるが、分からない人にはわからない。そして、弁護士の仕事や、塾講師の仕事など、ある程度、サービスの質を判断するのに一定の知識と専門性が必要とされるサービスにおいては、顧客が、本質的な部分の質を判断することは特に困難となる。そして、顧客は、周辺的なサービスの質で、サービスの質を判断する傾向にある。
(4)サービス業の本質的な部分については、手を抜こうと思えば手を抜ける。そして、顧客は、まさかサービスの提供者が本質的な部分について手を抜いているとは思わないため、手を抜いていることが気づかれにくい。
(5)そして、サービスの提供者のリソースである時間及び体力は有限である。よって、本質的な部分に用いるリソースが増加すれば、周辺的な部分に用いるリソースは、低下することになる。一方で、周辺的な部分に用いるリソースが増加すれば、本質的な部分に用いるリソースは低下することになる。
(6)そのことから、本質的な部分に力を入れすぎると、周辺部分に提供するリソースが減り、逆に顧客満足が落ちてしまうことがある。必ずしも、サービス業においては、提供するサービスの本質的な部分の質の出来と、売り上げが比例しない。
(7)一方で、周辺的な部分に力を入れ、本質的な部分に手を抜く、という仕事の仕方をしても、顧客が本質的な部分の仕事の質に気がつかないがゆえに、顧客満足にはプラスになってしまい、提供するサービスの本質的な部分の質が低いものの、売り上げが増加してしまうことがある。
8  本質的な部分について手を抜くが、周辺的な部分については力を入れるという仕事の仕方は、具体的にどのようなものか。
   弁護士の仕事で言えば、たとえば離婚訴訟について、財産分与が問題となっているのに、その部分についての主張立証をまったくしない。逆にクライアントがこだわっている、ユニバーサルスタジオジャパンで、待ち時間に相手方から蹴られたという事実の主張(当然証拠はない。)に終始する書面を提出する。そして、打ち合わせにおいても、依頼者が、相手方から蹴られたという事実をカウンセラーのように聞き、そして、それはひどいですね、と共感はするが、財産分与について、聞くことはしない。打ち合わせが、カウンセリングのようになっている。当然、財産分与の点については敗訴するものの、なぜか依頼者とともに裁判官の悪口を言って、責任を回避する。
   冗談のように思われるかもしれないが、実際に、こういう仕事の仕方をする弁護士はいる(私は、離婚弁護士を名乗る輩に多いという印象を持っている。)。そして、こういう仕事の仕方をする弁護士の場合には裁判所が非常に迷惑することになる。
9   もっとも、個別指導塾の講師は、もともとのターゲットが落ちこぼれた子たちであるので、親御さんもダメモトで来させていることが多い。そのことも、成績を上げるという結果に対する要求がシビアではないことの一因となっていた。弁護士の仕事は、個別指導塾の講師よりは、本質的な結果に対する要求がシビアであるし、腕のよい弁護士が求められていると感じる。多くの弁護士の知り合いがいて、目が肥えた顧客も多いし、何より、結果が金という形で返ってくるため、やはり顧客も、勝てる弁護士、腕のよい弁護士を、探している側面がある。
10   私は、顧客を不快にさせることがあってはならないと思うし、気持ちよくさせるという水商売的な仕事も、弁護士業務には、どうしても必要になってくることは否定しない。私も、おべんちゃらのようなことをクライアントに言ったりする。しかし、私は、やはり最終的には、弁護士としての腕で食って行きたいと思う。私は、俺の作った飯を食え、というのが好きなのである。そして、カウンセラーと弁護士の仕事を履き違えているような輩に対しては、一般市民を保護すると言う観点からも、今後、しかるべく対応していくべきであるように思う。