1 修習生であったころ、他の修習生とともに、多くの先輩弁護士と話しをする機会があった。先輩弁護士と修習生の間では、どうすれば、弁護士として食べていけるかよく話題になった。
2 先輩弁護士と、そういった話しをするたびに、私は、何かやるせない気持ちになった。私は、彼らとの間に、絶対的に分かりあえない何かを感じた。
3 多くの先輩弁護士たち、特に一定以上の期の弁護士は、弁護士は、食っていくことを考えてはならないと、遠まわしに、私その他の修習生たちに言っていた。彼らが、目先の金にとらわれずに、委員会に入るなど会務にも精を出して、地道に活動することが、結局は、成功することになるとも言っていた。私には、論理的なつながりに欠けるように思うが、彼らの頭の中では、弁護士として地道に仕事をするということと、会務に精を出すということは、セットであるようであった。
4 私は、修習中は、多くの先輩弁護士たちの、何と言うか理想論的かつ教条主義的な発言に反発を覚えていた。私が反発を覚えたのは、次のような発言である。 
  「弁護士として、何がしたいのかが大事ね」
  「僕は、修習中でも無駄なことを一杯やった」
  「もっと仕事くれとか、そういう態度ではダメ」
  こういう発言を聞くたびに、私は、俺は食うためにやっていく、と心の中でつぶやいていた。
5 そのような発言をした彼らに共通しているのは、弁護士は、食っていくことを考えてはならない、少なくとも食っていくために仕事をするという姿勢を外部に見せてはならない、という思想をもっていたことである。彼らは、弁護士がプロである理由として、公益的存在であることに重きを置いていたように思える。私は、彼らの発言は、非常に無神経だと思った。彼らは、高度成長期という歴史的にも世界的にも恵まれた、食えた世代の人間である。その食えた世代の彼らが、食えるかどうか分からない世代の人間に、食えるかどうか考えるなと言っているのであるから、彼らが無神経であったことは間違いがないように思える。
6 誤解されないように言えば、私は、修習時代の人たち(特に弁護修習の指導担当)との出会いがなければ、今の自分はないと考えている。今でも、指導担当は、私の弁護士としての理想像であるし、修習廃止には絶対に反対である。
7 しかし、実務に出てからも、私は、ある種の先輩弁護士とは絶対に分かりあえないものがあると感じている。つい最近手にした大阪弁護士会の会派の雑誌における先輩弁護士の発言がこれである。発言者の氏名は、匿名とする。
  A氏「心の余裕があるからこそ委員会活動ができるわけで、今の若手は………異業種交流会に力を注いだりいろいろと努力されていると思います。」
  B氏「異業種交流会も、繋がりを大切にするということならいいですが、仕事を取りに行くということではだめでしょう」
  C氏「仕事を取るのではなく、異業種交流会でも地道にやらないと」
8 誤解を恐れず言えば、私には、彼らの発言が分からない。繋がりを大切にするということと、仕事を取りに行くということは、両立するはずである。彼らの頭の中では、おそらくは、つながりを大切にする=金儲け的ではない=善、仕事を取りに行く=金儲け的である=悪という棲み分けがされているのだと思う。しかし、その棲み分けは、私には理解できない。また、異業種交流会で仕事を取ることは、私は、極めて地道な作業であると思うのだが、彼らの発言においては、異業種交流会で仕事を取るということが、地道ではないことが前提とされているように思える。C氏の発言は、特に不明瞭である。異業種交流会を地道にやるとはどういうことなのか。「仕事を取るのではない」とはどういう態度を言うのか。
9 なぜ、彼らがこのような発言をするのか。私は、やはり彼らが、弁護士は、聖職であり、弁護士は食っていけるかを考えてはならない、と考えており、そして、真面目に弁護士としての仕事をしてさえすれば、自然と食っていけると考えているからであると思う。
10 私が修習時代に反発を覚えたのは、先輩弁護士たちのこの手の発言であった。
11 私は、食えるか分からない世代に対して食っていけるか考えてはならないなどと無神経な発言をするタイプの弁護士は、主流派、弁護士会の会務によく参加する人に多い、という印象を持っている。そして、修習中は勘違いしてしまうのだが、修習においてよく接する弁護士=会務に積極的な先生は、少なくとも大阪で言えば、必ずしも弁護士の多数派ではない。しかし、主流派は、必ずしも多数派ではないものの、他の多数の会員が権力に無関心なこととあいまって、弁護士会としての意思決定権を握るという厄介な特質を持っている。
12 修習時代、少し話をした初老(70歳くらい)の先輩弁護に、概ね次のように言われたことがある。彼は、私に次のように言った。私は、彼の発言を正直ないい発言だと思った。
  「私の親戚も弁護士として独立したばかりである。しかし、月100万円は売上がいるため、厳しいといっている。我々の時代は、右肩上がりだった。いい時代だった。」 
13 私は、10年後、食っていける自信はない。私は、いくら売上を上げようが、いくら仕事を取ろうが、どれだけ仕事ができるようになろうが、食っていける自信は、持てないと思う。私は、常に、生活保護を受けなければならなくなるのでは、という恐れを持っている。そして、その恐れは、いくら貯金をためようが(億を超えれば変わるのかもしれないが)消えることはない。
14 私のようにバブル崩壊後に物心がついた人間は、一度も日本がよい時代を過ごしていない。改めて論考するが、1990年代以降、日本は、改革が必要と叫ばれ続け、実際改革をしたものの、うまく言った改革はひとつもなかった。日本の経済的状況は、悪化するばかりであったのである。
15 別に、先輩方に、若手を援助しろなどとは言わない。私は、現在では、先輩弁護士は、仕事を奪うべき競争相手であると認識している。ただ、幸せな時代に生まれ育って、幸せな弁護士生活を満喫したのだから、人の感情を逆なでする発言はするなよ、とだけ言いたい。