1990年の終わりころ、私は高校生であった。高校生の頃、私は、東京での一人暮らしに憧れていたので、東京の大学に行きたかった。当時、東京に単身赴任をしていた父親の所によく行って、東京見物に行ったり(渋谷とか新宿の町並みを歩いただけであるが)、大学見学に行った。早稲田、慶応、東大及び一橋はすべて見に行った。
  一橋は、都心から離れすぎていて、しかも田舎だった。この大学に行くことはない、と思った。私は、高田馬場の町の雰囲気と早稲田大学のキャンパスの雰囲気が、非常に気に入ったので、早稲田に行きたいな、と当時は思っていた。
  なぜ、高校生の頃、私が東京に行きたいと思っていたかといえば、東京に対する憧れがあったからである。私は、「海が聞こえる」(氷室冴子著、スタジオジブリにより映画化されている。)などで描かれた地方の純朴な高校生の持つ東京への憧れと同じ気持ちを持っていたように思う。私が高校生であった1990年代の終わりから2000年の前半にかけては、まだネットから情報を仕入れるということは今よりは少なかったので、私は、本を読んだりして、東京での生活に対するイメージを膨らませていた。高校生の頃、私は、小林紀晴という写真家の東京装置という本をよく読んでいた。
  一方で、私は関西出身であるので、東京は、日本の首都というよりも、どこか外国のような気がしていた。東京に大学見物に行ったとき、電車などで聞こえてくる東京の人の○○がさーという言葉使いは、若干違和感を感じていたし、世田谷でも杉並でも、東京の町は、関西の町と違って近くに山がないので、興味深かった。実際に上京すると東京の文化の違いは、やはり慣れるのに非常に苦労した。
  関西の人間に限らず、東京に上京することは、人によっていろいろな意味をもつ。人によっては日本の一番栄えている都市で生活する、という意味がある。人によっては、まったく文化の異なった、いわば外国で生活するという意味がある。また、人によっては、故郷を捨てて、日本の首都で夢を追うという意味もある。「大阪で生まれた女」という歌で歌われているように、青春のひとつの局面において、東京に行く、ということは、やはり何らかの意味や物語があるのであろう。
  私にとっては、関西から東京に上京することは、ひとつのドラマチックな面があったし、東京に上京するための大学受験は、やはり司法試験よりもドラマチックであった。東大の受験の性質が、さらに大学受験をドラマチックなものにした(東大受験は、司法試験よりも、短期決戦が可能となっているのである。)。ホリエモンが過去ブログで東大受験について書いていたが、あの記事を見て、ホリエモンに共感したし、非常に懐かしい気持ちになった。
  私は、実際に上京してみて東京の住みづらさや、買い物とかでも以外に関西よりも不便なことや、家賃がアホみたいに高いことを知っているので、2度と東京ではすみたくないと思う。しかし、事務所の都合などで、東京に行かなくてはならないかもしれない。